linthew’s diary

思ったことを思ったまま書いているアラサー女のメモ帳

「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」を観て思い出したこと

最後に投稿していたのが3年前だった

当時の私は何かしらの長文が書きたくて始めたが、すぐに飽きたのだろう

 

この3年で色々なことが私にも、周りの人にも、世界にもあった。が、書いていたらキリがないので、昨日「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」を観たのでそれについて書いておこうと思う

 

といっても映画については各SNSで多くの人がその感想や批評について既に投稿しているし、原作未読・ドラマ版で作品に入った私があれこれ書くこともない

書きたかったのは、岸辺露伴先生たちのルーヴル美術館を探索する姿を見て思い出したことだ

劇中、露伴先生一行は「黒い絵」を求めてルーヴル美術館の奥深くのある倉庫を目指す。案内人なしでは辿り着けない、暗い、迷路のような道のり……そんな場所に行ったことが私にもあったことを

 

私が以前働いていたオフィスは「地下3階」にあった。かなり古い施設で、地下ゆえに常時蛍光灯が長い一本道の廊下を鈍く照らしている

当時は何とも思っていなかったが、今思うと不気味にも思える場所だった

オフィスのある地下3階にたどり着くためには、地上から地下3階に通じる階段を降りる必要があった。直通のエレベーターは業務用で地下から上るためにしか使えず、階段を下るのが最短のルートだった

 

オフィスにいた約2年間・週5日、毎朝この階段を利用していた

階段は薄暗く壁はコンクリート造り・段差は金属板で歩くと上下に音が響き、自分以外の足音が聴こえると恐怖を覚える

さらに業者の掃除が入らないからか踊り場には埃が溜まっており、おまけにカビ臭い。さながらホラーゲームに出てきそうな空間

朝っぱらからこんな場所を優雅に歩きたくはないので、足早に地下3階まで駆け抜けていた

 

オフィスで働いて2年近くが経った時、先輩が地下1階にある倉庫へ書類を運びに行くというのでついて行くこととなった

地下1階に倉庫は担当業務の関係で行く機会がなかったのだが、倉庫に行ったことがある人たちは「迷う」「1人で行って帰ってくる自信がない」などと言っていたのを覚えており、どんな場所なのかは気になっていた

 

完全に先輩任せで行ったため倉庫までの道はまったく覚えていないが、ぼんやりと覚えていることはいくつかある

 

地下1階の一本道の廊下

歩いても歩いても景色の変わらない道のり

廊下にぽつんと置かれたソファがあった

 

しばらく歩き、あるドアを開く

暗く、そして広い空間があった気がする

歩いた先にはなぜか屋内なのに物置(100人乗っても大丈夫そうなやつ)があり、それが「倉庫」だった

 

倉庫の鍵を開けると、中にはオフィスでも見たことのある書類の入った箱たちがあり、ようやくここが自分に関係のある場所と自覚できた

 

「倉庫」を後にし、地下3階へと下る階段で、私は先輩に地下2階に何があるのかを尋ねた

地下1階に何があるのかを体感したことで、次は地下2階に何があるのかが気になったのだ

だが、先輩も地下2階に何があるのかは知らないという

そのまま階段を進み、地下2階へ続く扉を開いた

 

……が、その先へは進めなかった

建物の構造上、階段とフロアの間にはドアで仕切られた空間がある

私たちが入った地下2階のその空間には、ゴーッという機械音が響いており、更に扉を開けて進むことが憚られた

私たちは引き返し、そのまま地下3階のオフィスへと戻った

奇妙な体験をしたという感覚があった

 

結局倉庫に行ったのはそれが最初で最後だった

直後に私は異動でオフィスを移り、更に転職してしまい倉庫に行く機会は二度と無くなることとなる

 

あの現実なのか幻覚なのか、その境界が曖昧な道のりと空間を思い出すと、気味の悪い心地になる

ドラマ岸辺露伴の一連の作品を観た時に感じる不気味さに似たそれは、自分の中にある根源的な恐怖に基づくものかもしれない

同じ施設の中にありながら、得体の知れない場所、1人では辿り着けない場所

そうした見えないこと、知らないことへの恐怖心が怪奇を生む

 

これ以上記憶が遠のくと、あの地下1階の倉庫や地下2階が本当に訳のわからない空間として自分の中に留まり続けそうだったので、物語として消費して終わろうと思う

 

 

そもそも今年の夏は

今週のお題「残暑を乗り切る」


正直今年の夏はあまりしんどく無いと感じていたらあっという間に秋の風を感じるようになっていた。夜風が心地よい時期。


わたし的今夏のトレンドは、

・スイカ

・めかぶ・納豆・オクラのコンボ

この2つだった。とりあえず夏だから涼しげなものさえ食べたら元気なんだと思う。


そんな夏も終わりかけて食欲の秋ももうすぐ。食欲の秋には負けたく無い。

私とジムとダイエット

2年前の秋からジムに通っている。


たまたま職場近くのジムがリニューアルオープンしたので、当時仕事後の夜の時間にそこはかとなく虚無感を覚えていた私は気づけばジムに入会していた。


元々運動する習慣のないスーパー肥満児だったので、ジムに加えて食事量を調整したらまあ簡単に体重が落ちた。確か4ヶ月くらいで12kgくらい。


すると生活が変わった。

まず着られる服が増えた。試着しなくても買えばとりあえず服が入るし、ユニクロしまむら以外の服屋さんに行くことに気後れしなくなった。


多少自分のことも好きになれた。太っているから、という卑屈な気持ちが少し和らいだと思う。


しかし、食事量の調整という名の激しい食事制限の結果、ストレスによる過食の発生、食べたもののカロリーを記録しないと気が済まなくなるなど少々病んでしまった。


それから1年くらいリバウンドが続き、気づけばほぼ肥満体重に戻っていた。


結局のところ、わたしは絶対的に痩せたい理由がないのだろう。実際痩せてどうしたいと考えてはいない。ただ、痩せている方が生きやすい世の中なのは確かだから、痩せたいというだけ。


なぜわたしはジムに通うのか。

そうやってもうすぐ丸2年が経過する。

今日も食べたもののカロリーはアプリに記録しているし、スーパーでは栄養表示とにらめっこして、何なら食べられるかを探している。

沼というよりも

今週のお題「私の沼」


沼というよりも、完全に深みに嵌ったものは絵画


元々綺麗だと思うものが好きだったので、風景画を好んでいた


高校2年生の春にたまたま見た美術番組をきっかけに絵画の世界に引きずり込まれた。気づけば地方から見たい展覧会のために東京に行っていた


今思えば幼い頃に読んでいたスーラの絵画を紹介している絵本が、全ての始まりだったのかもしれない


スーラの点描の不思議さが、大人になった今では心地が良い


私も多くの日本人と同じで、華やかで明るい印象派の絵画が好きだ。「美術をわかっています感」を出そうと思ってルネサンス期の絵画も見たが、やはりあの生活と風景とをあの明るさ、手法で描いた印象派が、好きで仕方がない


もちろんルネサンス期の絵画にも好きな絵はある。それでもやはり最後にいいな、と感じるのはあの筆致、あの色だ

夏の始まり

気づいたらもう夏になろうとしていて、この時期になると毎年アデルのSet Fire to the Rainを思い出す


不思議としっとりとした雨の香りと、濡れる新緑と花の色


そして遠くに行った友人たちとの思い出がメロディと重なる


歌詞の意味にはそぐわないイメージも多い。けれどすっかり思い出と音が結びついてしまった


特定の時期にしつこいくらいに聴いた曲は、その時期がくると必ず思い出す。そして嬉しくなったり悲しくなったり楽しくなったりと感情が忙しい


もうすぐ東京事変の遭難を思い出す季節になり、気づいた頃には石川智晶の不完全燃焼が聴こえるようになる


そうやって、思い出から逃げられないまま歳を取っていくのかと思うと恐ろしいけれど、自分の思い出に明瞭なイメージが音楽として再生されるのは得だとも思っている